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【日記】平成最後のチワワと桜。

コラム
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世の中のすべては造物主のものである。ところでコペリは造物主の友である。しかるに友はすべてのものを共有する。それゆえ、すべてはコペリのものである。

動物はみんなそう。

すべての生き物のなかで、人間だけがせっかく神々から知性を授けられたのに、その人間だけがなんだか難しい顔をして生きている。

コペリと散歩道。私はムーミンの物語に出てくるスナフキンのことを考えてた。一度目にしたものは、目の奥にしまっておけるスナフキン。「僕が綺麗だと思うものは、ぜんぶ僕のものさ。その気になれば、世界中でも僕のものにできる。」って。僕のものじゃないけれど、僕が見てる間は僕のものだって。裸でこの世に生まれて来て、何も持たずに最後を迎える。

いつもは水の流れてるはずの乾いた川底で、あんまり長いことそんなことを考えてたから、コペリはいつの間にかこんな顔をしてた。

枝の上のコゲラ。日本で一番小さなキツツキ。一生懸命トントン枝を打ち鳴らしていたけれど、コペリが見てなかったら気が付かなかった。

誰もいない桜の道。近くに名所がたくさんあるから、こんな桜の日でも来る人は少ない。桜の季節が終われば、またどこにでもある川沿いの道に。

ほんとは写真はいらない。指先が触れた途端に、ずっと欲しかったものがすべり落ち、握りしめてたはずのものが無価値なものだと気づく。犬のスナフキン。コペリも犬。飼い主も犬。

コペリの灰色の道にも桜が咲いた。桜が散ればいつも通り。

桜みたいな人生がいいって。もし桜になるならソメイヨシノじゃなくてもいい。山のエドヒガンがいいって。

こんな桜の日に、私は闘病中の家族に末期がんの告知をした。